PART 62(b)

 その翌週。知佳は落ち着かない気持ちで日々の業務をこなしていた。結局、あれから同窓会ではインカムを外してしまい、謎の男からの指示を完全に無視したのだ。脅迫者が持っているのがあの時に超望遠で撮影した写真だけだったら、それをばらまくことは脅迫のネタがなくなることになり、逮捕されるリスクだけを抱えることになる。もし万一、やけになってその写真をばら撒かれたら・・・その時は・・・それは自分ではないと絶対に認めなければいい・・・それが、知佳の考えだった。

 そして数日が経ったが、やはり何も変わったことは起きなかった。そうよ、やっぱり何もできないのよ・・・知佳は不安な気持ちを感じながらも、少しずつほっとし始めていた。

 しかし、その週の金曜日。通勤電車の中で、周囲の乗客の視線がいつもよりも自分に浴びせられているのを知佳は感じた。もともと人目を引くような美貌を持ち、またしばらく前からはテレビにも出ているため、電車の中で気付かれることはよくあった。ただ、知佳の住まいは比較的地価が高いエリアだったため、通勤電車の中で不躾な視線を感じることはほとんどなかった。

 (え、何かしら・・・髪型が変なのかな・・・)知佳は何気なく上の社内広告を見る振りをしながら片手を上げ、髪をさっと撫でた。(風で乱れていることもないわよね・・・!!)その時、吊り広告を何となく眺めていた知佳は、大きく目を見開いた。

 それは、今日発売の週刊SHの広告だった。
『スクープ! あの超一流商社の美人OLの裏バイト!』
・・・それは、トップ記事扱いで大きな文字で書かれ、隣に唇から下、ブラに包まれた上半身までの写真が載っていた。それは紛れもなく、会議室でストリップを強要された時に着けていたブラだった。

 一気に知佳の顔面が蒼白になった。(ど、どうして? 公開はしないって約束していた筈じゃない・・・大体、あれは週刊FRの記者だったのに、どうして対抗誌の週刊SHに載ってるの!・・・まさか、あの脅迫と関係あるの?・・・脱いだって、どの写真が掲載されてるの? 顔は映っているの?・・・今頃、会社では大騒ぎになっている筈・・・な、何て言ったらいいの?)満員電車の中、知佳は混乱した頭で考えたが、中身を見ないことにはどうしようもなかった。もしかして、私のことを見ている人達は、あの雑誌をもう買っているの・・・ひょっとして、私の全部が映っている写真、じっくり見てしまったの・・・

 知佳は羞恥と焦燥感にまみれながらも、そのまま通勤するしかなかった。もちろん、雑誌の中身は死ぬほど見たかったが、まさか駅の売店で自らその雑誌を買うことなんてできなかった。もし知佳本人と気付かれたら、人だかりができてしまうかもしれない・・・そしたら、しらを切ることも難しくなる・・・

 ターミナル駅で乗り換えた知佳は、次に乗った電車でもその吊り広告の真下に立つことになってしまった。満員のため動くことはできない。そして知佳は、周囲のサラリーマン達がその広告を眺めた後に、自分の唇とじっくり見比べるのを感じながら、じっと堪えるしかなかった。(く、唇だけじゃ、分からないわよね・・・いや、そんなに見ないで・・・)

 会社の最寄り駅に着くと、知佳はいよいよ緊張した。知佳の顔は会社のほとんど全員に知られている。おそらく、通勤電車の中でその一部があの吊り広告を発見し、すぐに出会った同僚に話すだろう。そして一部の者は面白がってその雑誌を買い、会社に持って行くだろう・・・一体そこにはどんな写真が?・・・自分の顔は映っているのか・・・

 会社が近付いてくると、ついに周囲に会社の人間達の顔が見え始めた。皆、平静を装ってはいたが、一部の者達の目は明らかに不自然だった。そしてそれは、会社の入り口が見えて来ると、より一層鮮明になった。
(おい、あれ見たか?)
(ああ、超一流企業の美人OL、だろ。裏バイトって何だよ!)
(ねえ、あれってほんとに麻倉さん?)
(でもあの唇、よく似てない? 色も同じだし)
(ねえ、誰か買ってないの?(笑))
一部の女子達はわざと知佳に聞こえるような声で話し、反応を窺った。

 知佳はできるだけ気にしないように歩いた。よく考えると、知佳はなりすましをされているだけなのだから、今はまだ何も知らないのだ。いつもどおり、毅然とした表情で歩くのよ。恥ずかしがったりしたら私が本人だと告白しているようなもの・・・

 ついに知佳は会社の中へと入っていった。1階ロビーにいた社員達が一斉に知佳の顔を見つめた。
「え、何、どうかしたの、私?」
知佳は必死に平静を装い、近くにいた同僚の社員に聞いた。周囲の社員達の注目が今度はその社員に集中したが、その社員にはいや、俺も分からないなあ、と軽くかわされてしまった。

 知佳が周囲の視線を気にしないフリをしながらそのまま歩き、ようやく商品企画部に入ると、席につく間もなく課長の袴田に呼ばれ、すぐに幹部会議室に行くように指示された。理由を聞いても、いいから早く、と言われただけだった。そして知佳がエレベータに戻って最上階に上がり、幹部会議室へと歩いていくと、扉の前で企画部の社員が待っていて、早く中に入るように促された。

 「失礼します・・・」
知佳はゆっくりとその扉を開けると、控え目な声で挨拶をして中に入った。20名程の幹部達の視線が突き刺さるのを感じ、羞恥に真っ赤になりそうなのを必死に堪える。私は何も知らないんだから、いつもどおりにするのよ・・・
「遅れてしまい申し訳ございません。お呼びいただきましたでしょうか?」

 体を前屈みにして何か言おうとした総務部長を制し、社長の沖田が柔和な笑みを浮かべた。
「ほう・・・なかなか落ち着いているんだね・・・まあ、こっちに来なさい」
沖田はそう言うと片手を上げ、手招きをした。その目の前の会議卓には、一冊の雑誌が置かれていた。また、他の幹部の前にも、同じ雑誌が置かれていた。それはもちろん、今日発売の週刊SHだった。

 (い、いやあっ!)知佳は内心で悲鳴を上げながら歩き、やや急ぎ足で社長の横に立った。すると社長はその雑誌を手に持ち、知佳に手渡すように差し出した。
「どうやら君はまだ知らないようだから、ちょっとこれの最初の特集を読んでもらえるかな。それから、対策を話し合おう。」

 「は、はい・・・失礼します」
知佳は心臓が破裂しそうなくらいに激しく動悸するのを感じながら、辛うじて声を出した。そして祈るような気持ちで表紙と目次のページをめくり、トップの特集記事のページを開いた。その瞬間、知佳は目を見開き、思わず悲鳴をあげた。
「・・・っ! い、いやあっ!」

 知佳が悲鳴をあげたのも無理はなかった。そこには、見開の2ページをまるまる使い、全裸の知佳がテーブルに横たわっている写真が掲載されていたのだ。特集はページをめくった次の2ページにも続き、そこには知佳の通勤時のスーツ姿や、展示会でプレゼンする姿、テレビ出演の様子の写真などが掲載されていた。ただしその全てが、目の部分に黒い長方形で目隠しがされ、さらにヌードグラビアでは恥毛にぼかしがかけられていた。それはつまり、限りなく知佳本人と思われる女性の、乳房も乳首も丸出しのフルヌード写真が全国で公開されてしまった、ということだった。そして記事の最後には、次号ではこの美人OLの驚愕の裏バイトを特集!と大きな文字で書かれていた。

 「ち、違いますっ、何ですか、これは!?」
知佳は幹部達の探るような視線が集中しているのを感じ、知佳は顔を真っ赤にして否定した。幹部の皆は、それぞれがその雑誌を手に持って知佳のヌードのページを開き、立ち尽くす本人と見比べていた。
「い、いや、やめてくださいっ、これは私じゃありませんっ!」

 「まあまあ、落ち着いて、麻倉くん。我々も、まさか、君がこんなことをするなんて思っていないんだから。」
総務部長の塩野が落ち着いた声で言った。
「・・・ただ、この記事を世間の人が見たら全員が君のことだと思うのは間違いないからね。当社としても、計り知れないほどのイメージダウンになってしまう。そこで、今日の幹部会議の前に緊急に協議することにしたんだよ。」
塩野はそこまで言ってお茶を一口飲み、知佳の顔を見つめた。
「・・・その時に大前提となるのが、この写真は君本人のものではないということが絶対の事実だということなんだけど・・・失礼だが、間違いなく、君じゃないんだね?」
塩野はそう言いながら、見開きの全裸写真を知佳にわざと見せつけた。
「後で嘘がばれたら、全責任を君に負ってもらうことになるよ? 今、外国企業との提携とか国内事業部の再編構想のための交渉とか進んでいるのは知っているよね、君のせいで破談になったら損失は計り知れないよ。」

 「違いますっ、私じゃありません! そんなこと、私がするわけが無いじゃないですか!」
知佳は内心の動揺を悟られないよう、わざと強気に言った。

 「そうか、分かった、それじゃあ、裁判でもするか? 君も、偽物のヌード写真を公開されて迷惑だろう?」
二人のやりとりを見ていた社長の沖田が口を挟んだ。
「そうすれば、裁判の中でこの写真が別人のものと証明されるだろうし。」

 (さ、裁判!? この写真が検証されて、間違いなく本人のものだと証明されてしまったら、私・・・)知佳の顔が一瞬固まった。
「・・・そ、それはもちろん構いません。ただ、業務に支障が出なければ良いのですが・・・」
急に歯切れが悪くなった知佳の様子に、幹部達の雰囲気が怪しくなった。

 「社長、お気持ちは分かりますが、裁判の判断はまだ早いでしょう。第一、この記事はこのヌード写真が麻倉知佳のものとは明言していないですし、示唆しているとしても、それが故意のものかは分からないし、裁判になれば、麻倉くんが言うように、却って世間の注目を集めて逆効果の部分もあります。」
総務部長の塩野がフォローするように言うと、幹部も納得したように頷いた。

 「まあそうだな。奴らもそこを狙ってるんだろうからな。裁判云々の対抗措置は今後検討するとして、まずは状況確認だな・・・」
社長はそう言うと腕組みをして天井を眺めた。
「・・・しかし、それにしても、どうしてこの記事が載る前にうちに接触が無かったんだ? 普通、こんな写真がありますが・・・とか言って、金をせびりに来るもんだろう?」

 「え、ええ、確かに社長のおっしゃるとおりなのですが・・・」
社長に視線を向けられた塩野が今度は若干苦しげな口調になった。
「週刊SHを発行しているSH書房とは、前社長の時にトラブルがあって、それ以来あまり付き合いが無かったことも一因かと・・・たまに広告記事でも書かせてやっていればこんなことは無いんですが・・・」

 「いや、広告記事については、相手を選んで絞ってやって行くという営業部の方針をふまえて幹部会議で決定した方針ですから・・・」
沖田と塩野に視線を向けられた広報部長の稲垣が慌てて言った。
「それでも時々は情報を提供していたのですが・・・」

 「もう、いい! 今はそんなことを議論している場合じゃないだろ。」
幹部達の責任の擦り付け合いにうんざりしたように沖田が言うと、幹部達がばつの悪そうな顔をして静まった。
「とにかく、総務の塩野の方ではSH書房の上の方とさりげなく接触してみろ。それで、何かうちに要求があるのか、誰がこのネタを持って来たのか、続編はどんなネタを持っているのか、探ってくれ。それから、広報では、来年度の広告予算の件で相談があるといって話をしてみろ。あと、財務部長は、SH書房のメインバンクのルートから何かできないか、考えてくれ。3日以内で頼むぞ。」
沖田が矢継ぎ早に指示を出すと、各幹部は神妙な顔で頷いた。
「麻倉くんにも頼みがある。まずは、いろいろ大変だろうが、とにかくいつもと同じように振る舞って欲しい。・・・それから、ちょっと悪いんだが・・・」


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