PART 47

 残り時間が無い聡美は、そのまま階段を駆け上がった。あっと言う間に4階を通り過ぎると、すぐに屋上への扉のところまで辿り着き、該当の鍵を差し込もうと鍵束を見た。

「あ、……そんな、……」
 鍵束にまとめられている鍵には、どれがどこの鍵かが分かる表記が全く無かった。しかも、鍵の外見は似たようなものばかりだ。聡美は仕方なく、一つ一つの鍵を鍵穴に差し込んでみることにした。

 一つ目、二つ目……鍵はいずれも屋上への扉の鍵穴に、差し込みはできるものの、回すことができなかった。
(早くしないと、時間が……)
 ここでの時間のロスは、指示された55分に帰れなくなることに直結しかねなかった。それに、その時間を過ぎると、教師の気まぐれで授業が早く終わったクラスの生徒が廊下に出て来るかもしれない。もし、廊下を走っている最中に、教室から大勢の生徒が出て来たら……階段を降りている最中に、上下の階から来る生徒たちに挟まれたら……破滅の予感に、聡美は身震いした。

 三つ目の鍵を差して回すと、ようやくガチャリ、という音と共に扉が開いた。開いた隙間から陽光が飛び込んで来る。

(い、いや……)
 聡美は、裸の下半身を晒して青空の下に出ることを一瞬、躊躇した。
(行くしか無いのよ、聡美! 一周だけ、走ればいいのよ……)
 聡美が足を踏み出そうとすると、後ろから由美の手が伸びてきた。
「鍵、預かっといてあげる」
 聡美は由美に鍵束を手渡すと、思い切って屋上に出た。

(誰も……いないわよね)
 鍵がかかっていたのだから誰もいるはずが無いとは思うが、万一を考え、聡美は下半身を両手で隠しながら辺りを見回した。屋上は校舎の形と同じく『コ』の字型をしており、その曲がり角にいる聡美からは一部死角があったが、少なくとも見える範囲においては人の気配は無かった。
(よし、行くわよ……)
 聡美は悲壮な決意をして拳を握り締めた。

「ちょっと待った!」
「ちょっと待ってぇ」
 思い切って駆け出そうとする聡美に、由美と高橋が同時に声をかけた。

「え、何よ?」
 せっかく羞恥に耐えて思い切ったのに出端を挫かれ、聡美はつい尖った声を出した。

「あら、そんな言い方していいのかしら? このカメラの向こうでは、クラスのみんなが実況画面を見てるんだけどなー」
 由美は笑いながらカメラをかざし、画面モード切り替えボタンを押した。するとそこには、2年1組の教室でこちらを熱心に見つめるクラスメイトたちの姿が映し出される。

「おい聡美ちゃん、今のはまずいぜ。ロスタイムプラス3分かな。合計11分だから、次の授業始まっちゃうな」
 電話口から、男子の声が響いた。そーだそーだ、と続く声も聞こえる。

「そ、そんな、許してください。何でもしますから……」
 授業中に惨めな思いをするのはもう嫌だった。聡美は我を忘れて必死に懇願した。

「……分かったわ。じゃあ、許してあげる」
 相変わらずあっけらかんとした美智代の声が響いてきた。なんでだよ〜、という男子のブーイングも聞こえた。
「まーまー、聡美ちゃんだって頑張ってんだから、ちょっとくらい大目に見ましょうよ。あ、それから、時間もあと3分しかないから、延長してあげるわ。……そうね、5分延長、鐘が鳴り終わるまでに戻ってくること、いいわね?」
 美智代は猫撫で声で続けた。
「だけど、もう二人に逆らったりしたら、その時はどうなっても知らないわよ」

「良かったね、聡美ちゃん、許してもらえて」
 再び携帯端末のモードを切り替えながら由美が言った。
「じゃあ、早速、命令に従うことにするわよ。……えーとね、自己紹介をしてちょうだい、こんな感じで……」
 由美は、聡美の耳に唇を寄せて続きを言った。途端に、聡美の頬の朱が更に深まった。

「は、はい……」
 命令には絶対服従せざるを得ない聡美は、笑顔を作って、正面から構えている、由美と高橋のカメラを見つめた。

(……仕方無いのよ……)
 聡美は内心で自分を納得させ、命じられた口上を口にした。
「私、S高校2年、白石、聡美は、普段は澄ましてクラス委員をしていますが、本当は、人前で恥ずかしい姿をするのが大好きな、ろ、露出狂、です。今日は、あそこを丸出しで屋上を走り回ることができて、とっても嬉しいです。しっかり録画してくださいね」

 言い終わると、聡美はカメラに後ろ向きになり、顔だけカメラを振り向いて、笑顔で尻をぷりぷりと振った。
(ひ、ひどい……)
 きっと、2年1組のパソコン画面には、自分の尻が大映しになっているに違いない。「淫乱症チェック」の名の下に課せられる恥辱の連続に、聡美は頭がぼうっとなる。
(あ、だ、だめ……な、何で、変な気持ちになっちゃうの……)

 しかし、由美は同性特有の残酷さをもってきっぱりと言った。
「だーめっ! ぜぇんぜんっ、嬉しそうじゃないじゃない! 心から楽しそうに見えるまで、何度でもやり直してもらうわよ!」

 聡美は結局、恥辱の口上をさらに2回、繰り返さなければならなかった。

「はい、それじゃあ露出ランニング、スタート! ちゃんと、端っこを走るのよ。下の人が見えるくらいにね」
 由美の号令と共に、聡美はゆっくりと走りだした。

 空は雲一つ無い晴天だ。昼時の強い陽光が、まともに聡美の露出した肌に当たっていた。人に気配のしない屋上を、セーラーの上だけを身に纏った少女が走る図は、ある意味シュールとも言えた。

「なーんか、創作意欲をそそられるなあ、聡美ちゃんがお尻丸出しで走る図って。ケツがちょっと大きめで、ウエストがきゅっとくびれてるのがたまんないんだよなあ」
 高橋はズームを駆使しながら言った。

「それに、あの生っ白さたらないわよねぇ。なーんか、すごいスケベな感じ。あそこの黒さが引き立っちゃって、また卑猥よねぇ」
 由美がムービーカメラのフレームにしっかり聡美の股間を捉えながら相槌を打った。

 二人の男女ののんびりした雰囲気とは異なり、聡美はあまりの羞恥に顔から火を噴き出しそうな思いをしながら走っていた。由美がの命令どおり、下の人が見えるくらい端を走る、ということは、逆に言えば、下の人間が上を見上げれば聡美の姿が見える事になるのだ。今までは『コ』の字の外側、校舎の裏側と脇の辺を走っていたが、次の角を曲がったら、『コ』の字の内側、すなわち校庭に面した辺に沿って走ることになる。聡美にとって運悪く、今の時間、校庭では2つのクラスが体育を行っていた。

 いよいよその校庭側に近づくと、聡美は思わず立ちすくんだ。若さに溢れる歓声が、コの字型の校舎にこだまのように反響し、下から沸き上がっていた。もし、誰か一人でも屋上を注意して見つめたら……沸き上がる笑い声が、自分のあられも無い姿を見て皆であざ笑っている声のように感じ、膝ががくがく震えてきた。

「さっとみちゃーん、あと7分よおっ」
 屋上の階段出口、今の聡美から見て対角線上にいる、由美の声が聞こえて来た。
「だーいじょうぶ、段があるから見えないわよ、聡美のあ・そ・こ」

 段、と言うのは、危険防止のために、屋上の縁に設けられている、コンクリートの段差のことだ。幅50センチ、高さ60センチのそれは、確かにそのギリギリに立っても、校庭の生徒からはなんとか下半身を隠してくれるように思われた。

(そ、そうね……見える訳、無いわよね)
 聡美は自分に言い聞かせると、校庭側の縁を走り始めた。

 聡美は、できるだけ校庭の生徒たちを意識しないよう、前だけを見て走ることにした。コの字型の内、校庭に面している辺は合計で150〜200メートルほどだ。(ほんの30秒だけの辛抱よ、大丈夫)聡美は、裸の下半身を晒しながらも、必死にスピードを上げようとした。

 その時突然、下から、
「わあぁっ!」
 と大きな歓声が上がった。

「い、いやっ、!」
 聡美は思わずその場にしゃがみこんだ。
(ま、まさか、見られた!? ……ど、どうしよう……)
 最悪の事態の予感に頭が真っ白になる。

「違うわよ、聡美ちゃん」
 聡美の前方に移動してきた由美が校庭を見ながら言った。
「バスケのスリーポイントシュートが決まったから盛り上がっただけよ」

(よかった……)
 聡美は何とか気を取り直して立ち上がることができたが、さっき感じた、背筋が凍るような感覚を払拭することはできなかった。
(とにかく、早く教室に戻るのよ……)
 2年1組の生徒だけに裸を見られるだけなら、今より百倍ましだと感じていた。

 聡美は下半身を隠すことも無く、両手を大きく振り、必死に走った。時折起こる校庭の歓声が羞恥心を煽ったが、見えるはずが無いと信じて必死で耐えた。そして最後のコーナーを曲がり、あと30メートル程で階段、というところまで来ると、聡美は少しだけほっとした。
(もう、校庭から見られる心配は無いわ。頑張って走れば、あと1分で教室に戻れる筈)

 しかし、現実は残酷にも、聡美にとって思いもかけない展開をもたらした。階段まであと20メートル地点に来たところで、いきなり階段の扉が内側から開き出したのだ。

「い、いやっ!」
 聡美は慌ててストップして180度方向転換し、逆方向へと逃げるように走りだした。
(だ、誰!?……由美、高橋、どうして鍵を閉めといてくれないのよ!)
 開く扉をのんびりと見ている二人を聡美は呪った。

 すぐに校庭側の隅に着いてしまった聡美は、どうして良いか分からずパニック状態に陥った。屋上の扉は重く、しかも立て付けが悪いため、まだ開き切っていない。あと数秒、逃げる時間はあるが、屋上には死角が無いため、どこに行っても無駄に思えた。聡美は露出した下半身を両手で隠し、前かがみになりながら心細げに立ち尽くした。

 しかしその時、聡美の頭にある考えが閃いた。
(そうよ、反対側に非常階段へ抜ける扉があるわ。あそこまで行けば……)
 ちょうど対角線上の隅を見ると、そこには確かに小さな扉が見えた。

 聡美は思い切ってその扉に向かって走りだした。距離にして130〜140メートルはあるので、屋上に来た人物が振り返れば間に合わないかもしれない。だが、その人物がこちらに来るまでに非常階段に出てしまえば、下半身を露出した生徒が自分だとは分からない筈……聡美はそう信じるしかなかった。

 ちょうど屋上の中心を通過したところで、聡美の恐れていた事態が起こった。
「きゃあ、あれ、何よ」
「すっごい、お尻丸出しじゃない!」
「何で屋上走ってる訳ぇ?」
「あはは、しんじられなーい、だれ、誰よ?」
「追っかけてみようよ!」
 その言葉と同時に、複数の足音が駆け出すのが聞こえて来た。

 見られた!……恐れていた展開が現実化してしまい、聡美は更にスピードをあげた。もう尻は見られてしまっているが、今なら正体不明で済む……どんどん近づいて来る非常扉に希望を託すしかなかった。
(誰なの?……とにかく、今は逃げるしか無いわ……)



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