PART 67

 4月。S書房に入社した有希は、希望どおりに編集部に配属されることになった。入社前に何度も抗議をしてしまい、会社からよく思われていないのではと心配していたが、皆、暖かく迎えてくれ、有希は順調に社会人生活のスタートを切ることができた。

 入社してから3ヶ月間は研修期間だった。
 最初の1ヶ月は営業部に預けられ、まずは第1営業担当で、取次店や大手書店に対して新刊の案内や配本部数の交渉をしたり、納品・集金といった基本的な業務を担当させられた。次に第2営業担当で、広告営業としてのお得意様企業回りや新規開拓、さらに広告代理店を回って企画を説明し広告を取ってきてもらうように依頼する仕事を経験した。もちろん、有名人である有希が来ると、各社の男性担当者は目尻を下げて歓迎することとなり、S書房は大規模の新規クライアントまで獲得することができた。

 次の1ヶ月間は制作管理部に配属された。そこは造本やコスト管理がミッションであり、印刷会社の選定や進行管理の仕事を経験し、多数の出版物を滞りなく印刷・配本するためのスケジュール管理やコストカットのための交渉の重要さを学ぶことになった。

 最後の1ヶ月は、いよいよ編集部で出版物の企画や作家の担当を経験することになった。しかし、ここで有希が恐れていた事態が現実になってしまった。最初に、第2編集担当で研修をすることになったのだが、そこは雑誌や企画本の担当だった。すなわち、「週刊S」や「Supershot」を発行している担当だ。
「・・・二階堂有希です、2週間と短い期間ですが、どうぞご指導よろしくお願いします・・・」
有希は何とか微笑を浮かべて皆に挨拶をしながら、内心の葛藤と戦っていた。
 ただ、編集部長の計らいにより、有希は文芸誌や教育関連の雑誌を担当することになり、下世話な週刊誌の担当者とは深く関わらずに過ごすことができた。

 研修の最後の2週間は、第1編集担当として、様々な作家の担当者について、編集者の業務を経験することになった。そこで有希は、結局それは対人間の仕事であり、相手に合わせた対応をすることが大事だということを身を持って学んだ。往々にして年輩の大物は我が儘で好き嫌いが激しく、売れ始めた若手は傲慢になったり、書けなくなると過度に弱気になったり・・・作家の懐に入り込み、飴と鞭、お世辞と叱咤を使い分ける編集者達を見て、有希は皆を尊敬していた。皆、ただ表面的に付き合うだけでなく、その作家の作品を読み込み、もらった原稿を瞬時に判断する能力を持っていた。先生ならもっと書ける筈、正直言ってこんな作品をうちからは出せません・・・時にはそんな言葉もきっぱり言えるのは、自信があるからに違いなかった。

 個性的な作家が多い中、有希が憧れる園城寺幹雄は極めて常識的かつ温厚な良識派だった。企業勤務を経て作家デビューし、いきなり文学賞を取ってすぐに人気作家となり、出す作品全てがベストセラーだったが、全く驕るところがなかった。また、30代後半で渋みと甘みを兼ね備えたマスクは若い女性にも人気があった。その作品の内容は重厚かつ難解で、2回読むと真意が分かり、感動が2倍になる、というのが、S書房の付けた売り文句だった。そして、デビュー作品の時から親身になって対応していたS書房に恩義を感じ、園城寺はほとんど全ての作品をS書房から発表していたのだった。

 有希は、園城寺に最初に会った時、緊張しながらもにこやかに挨拶し、デビュー当時からのファンであることを伝えた。今までの園城寺の作品について感想を聞かれると、自分なりの感想を全ての作品について話し、その読み込みの深さと洞察力に、園城寺は深く頷きながら聞いていた。

 3ヶ月間の研修が終了すると、営業部と制作管理部からも強い引きがあったが、やはり有希は正式に編集部第1編集担当に配属され、園城寺も担当させてもらえることになった。もちろん、最初は担当編集者の鳥飼の助手としてであるが、有希はこの上なく嬉しい気持ちだった。

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 本配属の初日、有希は担当することになった4人の作家の挨拶回りをすることになった。園城寺以外には3人の作家を担当することになったが、皆、有希の美貌と知性、素直で明るい性格に歓迎を示してくれた。

 最後はS書房にとって最も重要な作家の園城寺だったが、彼だけには特別、夜の接待が用意されていた。S書房が使っている中で最高ランクの料亭が予約され、編集部長や第1編集担当課長も出席することになっていた。 そして、私なんかにはもったいないです、と固辞する園城寺を、鳥飼と有希は引きずるようにしてその店に連れてきたのだった。

 初めての接待、しかも存在すら知らなかった高級料亭ということで、有希は緊張を抑えきれなかったが、その初々しさが3人の男達には好もしかった。有希は逆に皆に気を使われ、女将や仲居達にも、宴席の際の立ち居振る舞いを優しく教えてもらったのだった。

 こうして編集者見習いとしての生活も順調に始まり、まだまだ未熟ながら、忙しい日々を充実感をもって過ごすことができた。

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 7月下旬のある日。有希は編集部長の宮本に呼ばれ、第2編集の担当者が休んだだめ、急遽その取材を代わりに行うように命令された。
 それはなんと、「Supershot」の再来週に出る記事の取材とのことで、有希は拒否しようとした。しかし、新人のくせに仕事を選ぶな、と一喝されては抵抗できるはずもなかった。

 第1編集担当で指導役の鳥飼には、君の分の仕事は何とかするから、と気遣われ、課長からは、あまり変な取材はさせないと第2編集担当に約束させたから、と慰められ、有希は仕方なく課長の須藤の席に向かった。

 「失礼します・・・」
有希がおずおずと第2編集部に入っていくと、社員達が一瞬手を止め、有希の美貌を見つめた。そして、奥の席に座っている須藤が高く手を掲げ、手招きをするのを見て、有希は須藤の席まで歩いていった。
「第1編集担当の二階堂です。宮本部長の指示で参りました・・・」

 「おいおい、固いなあ、有希ちゃん。そんなんじゃ、取材相手の懐に入り込めないよ?」
須藤はどっかと深く腰掛けたままで目の前に立っている有希を見上げた。
「いきなりお願いしちゃって悪かったね。鈴木が急に休んじゃってさ、どうしても、人が足りなくってね。だけどまあ、そんなに難しい取材じゃないから、よろしく頼むよ。」

 そして、課長の須藤が概要を説明したが、その内容は以下のようなものだった。
・題材は、ネットへの情報漏洩の防止の最前線。特に、テレビ局の放送素材のネットへの漏洩の防止について
・取材相手は、F・ネットセキュリティという企業。大手テレビ局の関連会社
・大手広告代理店から提供されたネタであり、Fテレビ経由で依頼してくれたもの。失礼は許されない
・担当者の鈴木が今日、急遽休みとなったため有希に依頼。先方は快く了承
・また、広告代理店の担当者は、とっておきのネタがあるのでスクープになると思う、と言っている。
 ただ、スクープの内容は会うまで話せないとのこと。

 さっと説明したあと、須藤は有希の顔を見た。
「な、簡単だろ? 全部お膳立てしてあって、スクープまで取れるんだから、こんな美味しい話はないだろ? 鈴木の奴、今ごろ地団駄踏んで悔しがってるぞ(笑)」
なお固い有希の肩をぽんぽんと叩き、笑顔で続けた。
「大丈夫、カメラマンの土居はベテランだから、何かあったらすぐフォローしてくれるよ。・・・ほら、時間がないぞ、下調べした方がいいんじゃないか?」

 有希はそれから1時間、慌ててネットの情報漏洩とその対策について調べ、概要を頭に入れると、F・ネットセキュリティに向かった。カメラマンの土居が運転する車に乗りながら、有希は同社のホームページを必死に読み込んでいた。Fテレビの元情報管理部門から3年前に子会社化、自動的に放送素材と類似の動画を発見・関係機関に即、削除させるシステムを各社と連携し、いち早く提供。アップロードされてから削除までの時間は業界内で抜きんでている。取引先はFテレビ系列のみならず、他系列の地方局とも多数実績あり・・・

 F・ネットセキュリティは、都心の高層ビルの20階の1室にあった。職場にはフラットなテーブルが並べられ、社員達が開放的な雰囲気の中、各々が好きな場所で仕事をしていた。会議室にも大きな窓があり、東京タワーなど都心の風景が一望できた。(いいなあ、こういう職場・・・)自社ビルとは言え、低層で築古、デスク回りは資料でごちゃごちゃ・・・自分の職場と比べながら、有希は内心で羨ましく感じた。

 担当者の笹倉は、30歳くらいの理系っぽい雰囲気の男性だった。挨拶も早々に本題に入った笹倉は、有希がホームページで調べた概要を簡単に話した後、放送と類似した画像を発見するアルゴリズムの特徴、海外の大手動画配信事業者との連携の深さ、他社に比べた優位点、その結果、多少の改変が加えられても、瞬時に、逃さず見つけられること・・・を得意げに語り続けた。有希は相槌を打ちながら、専門用語の半分も理解できていないことに内心で焦っていた。ICレコーダーに録音してあるから、後で調べなくちゃ・・・

 「なるほど、すごい技術ですねえ! 簡単に類似動画を発見って言っても、自動的にやるってのは難しいんですねえ!」
カメラマンの土居が、笹倉の話を若干遮るように大きな声で感心して見せた。
「ところで、テレビ放送のドラマや映画以外には、どんな動画の削除要請があるんですか? やっぱり、放送事故とか?」

 (あっ・・・)土居の言葉を聞いて、有希ははっとなった。笹倉の専門的な話を理解しようと躍起になってしまい、会話の方向をコントロールできていなかった。写真週刊誌にそんな話書いても仕方ないだろ、と土居が遠回しに有希を叱っているのが分かった。

 「え? あ、そうですね・・・すみません、ちょっと僕、熱くなっちゃいましたね。いや、こんな綺麗な女性が私のつまらない話を一生懸命頷いて聞いてくれるなんて、滅多になくって・・・」
笹倉が頭を掻きながら謝り、3人が笑った。

 「いえ、私こそ・・・つい最近まで、教育雑誌を担当していたもので、つい・・・」
笹倉さんも私に気を遣ってくれている・・・有希は笑顔を作りながら、内心で申し訳ない気持ちになっていた。

 そして取材の意図を察した笹倉は、まずはわざと放送と同じ動画をアップして、実際にシステムが発見して、削除されるまでを実演してくれた。その余りの素早さに感嘆する有希の表情を、さりげなく土居がカメラに収めていた。

 次に、どんな映像がよく依頼されるかを、実際に削除した動画の記録をモニター画面に映しながら説明された。一番多いのは、テレビドラマで、放送直後にアップされ、数時間後には海外に字幕付きでアップされていることが多いとのことだった。また、バラエティでも、人気アイドルグループが出るものは違法アップが多く、これは芸能事務所からの強い要望で即削除されるとのことだった。

 「それから、次ですが・・・えっと、二階堂さん、これは、Supershotさんの取材ということで、セクハラにはならないですよね?」
笹倉はそう言って、有希が曖昧に頷くのを見ると、次の映像をモニターに映した。さりげなく、土居が有希の表情を狙った。

 そのモニターを見た瞬間、有希はきゃあっと、小さく悲鳴をあげてしまった。そこには、温泉の中継らしき映像が映っていて、弾みでバスタオルがはだけてしまったシーンが映っていた。有名なアナウンサーの乳房が半分近く露わになり、乳輪の一部までもが湯けむり越しに映っていた。
「・・・これはかなり有名な映像です。パンチラなどは山ほどありますよ。パンティが透けて、毛が透けているものまで・・・最新のものとしては、こんなものもあります。これは放送されたものではなく、盗撮映像です・・・」

 今度は有名アイドルがプライベートで、温泉に入っている動画だった。楽しそうに友達と話しているそのアイドルは、途中で無防備に立ち上がり、綺麗な双乳が完全に露わになった。そこで笹倉が映像を止め、静止画像を拡大した。頂点のピンクの乳首までがはっきりと画面に映った。
「ほら、この乳房の下の部分のホクロをご覧ください・・・これは、その直後に出た写真集の水着の写真のホクロと完全に一致します。プロダクションはすでにこの盗撮をした人物を特定し、現在交渉中です・・・おおっぴらに訴えることはできませんが、少し手荒い方法で対応するでしょうね。・・・そして依頼を受けた私達は、彼がアップした直後にその動画を補足、削除し、一般への流出を完全に食い止めました・・・」
笹倉がそう言いながら停止を解除すると、動画が再び動き始めた。すると、画面の中のアイドルは何も知らずにそのまま湯から出ようとして、裸の下半身を全てカメラの前に晒した。すべすべの太もも、ふっくらした腰回り、股間の中心を彩る黒い翳り・・・

 「いや、全くけしからんですな!・・・こんな映像が流出したら、Mちゃん、アイドル生命終わりだもんね・・・うん、これはいい記事になりそうだ・・・」
土居がそう言いながら、その画面をバシャバシャと撮りまくっていた。

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