美紀 PART2

PART2

 美紀の大学生活は順調にスタートした。クラスのメンバーにも恵まれ、授業も興味深いものばかりであった。特に、一般教養で真っ先に受講を決めた、須賀伸行の現代フランス論は何よりも楽しみであった。出席に厳しいので、出席率は高いが、寝ている者が多い難解な講義を、美紀は一番前に座り、真剣な表情で一言も聞き逃すまいと聞き入っているのであった。
 

 しかし、テニスサークルの最初の練習の日、美紀は初めて周囲の顰蹙を買うことになった。女子が皆スコートを穿いているのに、美紀だけはパンツタイプのテニスウェアだったのだ。そのため、美紀の脚は全てジャージ風のパンツで覆われていた。

 「ちょっと、河村さん。どうしてスコート穿かないの?」
真っ先に「注意」してきたのは、意外なことに3年生の女子部長、松永清美だった。清美は女子にしては珍しく医学部だ。大分の実家は病院を経営しているとの話だった。

 「え、これで駄目ですか?」
訳の分からない美紀は唖然とした。テニスをするのにどんなウェアを着ようと自由ではないか。普段でもロングスカートしか穿かない美紀にとって、テニスのスコートは男の目を喜ばせるもののように思えて、どうしても穿く気になれなかった。
「ごめんなさい。ちょっと、恥ずかしいものですから・・・」

 「男の子の気持ちにもなってあげなさいよ。いいじゃない、脚くらい。ちょっと可愛いからって気取ってると、浮いちゃうよ。」
清美は当然のように言った。
「文学部でこのサークル入るなんて、どうせ医学部の男子捕まえに来たんでしょ? 可愛い顔して、今までだって男の子をたぶらかしてきたんじゃないの? なにいまさらぶりっ子してんのよ!」
いつの間にか周囲に集まってきた男子が頷いている。美紀のスコート姿を皆、期待して来ていたので、彼らの落胆も相当なものだった。

 「いい加減にして下さい!」
あっけにとられて言葉の出ない美紀を見かねて、良子が声を上げた。
「美紀はただテニスがやりたかっただけですよ。大体嫌がる美紀を無理矢理入部させたのは、先輩たちじゃないですか。それに、男子目当てですってぇ? 美紀がその気になれば、どんな男でもイチコロに決まってるじゃない。それなのに、この子、キスもまだなのよ! それとも先輩、と張り合って勝てると思ってるんですかぁ? なんなら、ここにいる男子に投票してもらいませんか?」
キスもまだ、というところで、男達がどよめいた。だれが美紀のファーストキスの相手になるのか、それに、処女は・・・?

 「や、やめてよ、良子。」
キス未経験を暴露された美紀は、良子に必死に囁いた。好奇の視線が自分の顔と唇に集中するのが辛くて仕方ない。

 この啖呵によって、美紀のパンツルックのウェアは黙認されることになり、良子はサークルで一目置かれる存在になった。一方、女子部長の清美の権威はがた落ちだ。チーフの赤城に慰められながらも、復讐を心に誓う清美だった。

-------------☆☆☆-----------------------☆☆☆-------------------☆☆☆------------------------

 5月下旬のある日。良子は渋谷でどきどきしながら待ち合わせをしていた。昨晩、飯田貴之から携帯に電話があり、デートをすることになったのだ。(ど、どうしよう・・本当に飯田くんとデートするなんて・・・)良子にしては珍しく水色系のワンピースという女の子らしい格好だった。(やっぱり、以外なら私が一番かな?)

 「ごめん、待った?」
貴之が来たのは約束の1時を5分過ぎた頃だった。

 良子は思わず笑い転げた。
「やっだ、飯田くんっ! おっかしいっ」

 「え、どうしたの?」
貴之は意外な反応に戸惑った。進学校出身で女の子と付き合った経験の無い男子にはどう対応していいか分からなかった。

 「え、だってぇ、『ごめん、待った?』なんて、あんまり型通りのセリフ言うんだもん。」
良子はおろおろする貴之が面白く、さらに笑った。
「面白い、飯田くんって」

 貴之も思わずつられて笑った。
「ごめん、ごめん。そんなにいじめないでよ。・・・さ、早く映画に行こうよ。」
貴之は自然に良子の腕を取った。
 

 良子と貴之のデートはそれから数回続いた。一ヶ月近くも会いながらキスすら迫って来ない貴之が、良子にはじれったくもあったが、そんな彼の真面目さもまた好ましかった。(そろそろ美紀にうち明けようかな。きっと喜んでくれるわ。)

 しかし、美紀に打ち上げる直前に、良子は意外な事実を思い知らされることになった。

-------------☆☆☆-----------------------☆☆☆-------------------☆☆☆------------------------

 6月のある日。良子は喫茶店で貴之と会っていた。もう何度もデートを繰り返し、すっかり気心が知れた仲の筈なのだが、いつになく貴之の表情は固かった。

 「ねぇ、どうしたの、飯田くん? どっか具合でも悪いの?」
良子は心配そうに訊いた。後の質問にはそうあって欲しい、という願望がこもっていた。高校時代に数回の恋愛を経験し、振ったことも振られたこともある良子には、別れ話をする時の雰囲気が嫌と言うほど分かっていた。
 「良子ちゃん、ごめん!」
果たして飯田はいきなり謝り、頭を下げた。テーブルに乗せた拳が小さく震えている。その様子を見て、本当に真面目なんだな、この人は、と良子は思った。

 「なあに? 何でもいいから正直に言って。」
良子は優しい声で言った。こんな時に興奮したら逆効果に決まっている。

 「うん、本当にごめん。実は・・・」
それからの貴之の話は良子にとってあまりにも意外であった。
 

 貴之は実は、5月の初めから美紀と付き合っていたと言うのだ。ただ、美紀も男子と付き合うのが初めてのためか、会ってはくれるがいつもどこかよそよそしく、心を開いてくれないために悩んでおり、相談相手になってもらおうと思って良子に電話をした。

 その電話を良子が誤解したため、なぜか映画を観に行くことになり、良子の笑顔を見ていると、どうしても本当のことを言い出せずに、ずるずると付き合うような形になってしまった。意図してではないこととは言え、親友同士の二人に大して二股がけをするようなことになってしまい、本当に申し訳ない・・・簡単に言って、それが貴之の話の全貌であった。

 黙って聞き終えた良子は静かに訊いた。
「だけど、やっぱり飯田くんは美紀と付き合っていきたいのよね、真剣に。」

 「・・・うん。本当にごめん。」
飯田はまた頭を下げた。
「だけど、このことは俺から河村さんにちゃんと説明するから。」

 付き合い始めてから、もう大分経つのにまだ『河村さん』だなんて、本当に真面目・・・そんなことを考えながら、良子は頭を振った。
「ううん、それはやめて。美紀にはタイミングを見て私から言うわ。飯田くん、美紀を大事にしてあげて。本当にいい子だから。」
それだけ言うと、良子は静かに席を立った。
「じゃあ・・・ね。今までどうもありがと。」

-------------☆☆☆-----------------------☆☆☆-------------------☆☆☆------------------------

 家に帰った良子は、しばらくベッドに突っ伏して泣いた。それから、携帯を取り出し、美紀に電話をかけた。そして、さりげなく水を向けるが、美紀は決して貴之のことを口にしなかった。良子もあえてそれ以上は追求せず、ありきたりのない話で電話は終わった。

 「どうして、? 飯田くんはタイプじゃないって言ってた癖に。高校時代は、男の子に誘われたらいっつも私に相談してたのに・・・どうして言ってくれないの?」
再び良子はベッドの枕に顔を埋めた。
 

 一方の美紀も、どきどきして携帯を見つめていた。良子は何か気付いたのだろうか・・・? だけど、飯田くんのことを言う訳にはいかないし・・・どうしよう?

 美紀の現状認識は貴之と若干異なっていた。最初に貴之からの誘いを受けたとき、美紀は必死に断ったつもりだったのだ。だが、彼女になってくれなくてもいいから、とりあえず友達として会って欲しい、と言うから、それならばということで、何回か会っているに過ぎない。

 しかし、美紀が心の中でどう言い訳をしようとも、週に一回は会って、映画や遊園地に行っているのだから、付き合っていないと言う方が無理がある。しかも、クラスメイトに気付かれないよう、学校では他人行儀にしているのも罪悪感の現れであると言えた。

 もう会わないようにしよう・・・デートからの帰り道、良子の顔を思い浮かべながら、美紀はいつもそう誓っていた。しかし、貴之は話をすればするほどにとって好感の持てる存在になっていた。貴之が寂しそうなそぶりをしても、手をつなぐ以上はさせないことで、ようやく自分への言い訳を成立させているだった。

-------------☆☆☆-----------------------☆☆☆-------------------☆☆☆------------------------

 7月初旬の週末、美紀と良子はテニスサークルのキャンプに参加していた。テニスとは関係無く、伊豆でキャンプをしようというイベントで、総勢30名ほどが集まっていた。

 美紀はすっかりサークルに溶け込み、今やサークルのアイドルとしての地位を確立していた。何人かをデートに誘う者もいたが、全てやんわりと断られていた。また、軽いメンバーが多いため、飲み会などの際には際どいゲームをしようという者も以前はいたのだが、そうなるとすぐに美紀が帰ってしまうため、見違えるほど上品なサークルになっていた。不満に思う男子もいたが、美紀が辞めてしまうよりはましだとあきらめるしかなかった。

 キャンプファイヤーも終わり、皆が気の合う小グループに分かれてテントに散ったとき、美紀は良子たちと同じテントに入った。そのテントは女子だけのものであり、話題はすぐに男子のことになった。

 「ねえねえ、美紀ちゃん、赤城さんの誘い、断ったんだって?」
口火を切ったのは教育学部の2年生、高野美穂だ。美穂が赤城を気に入っていることは女子の中では羞恥の事実だった。心なしか言葉に嫉妬がこもっていた。

 「え、は、はい・・・」
美紀は一瞬、言葉に詰まった。確かに赤城から誘いを受け、断ったのは事実だが、そのことは誰にも言っていない。特に、貴之のことを言い損ねた気まずさのせいで、良子にも知らせていなかった。
「でも、誘いってほどじゃなかったんですよ。軽い感じだったし。」
はできるだけ当たり障りの無いように言葉を選んだつもりだが、いかにも誘われ慣れした言い方がその場に若干の緊張をもたらしたことに気が付かなかった。

 「まあ、美紀ちゃんは高校の時からもてもてだったもんねー。今だって、それだけじゃ無いんでしょ? クラスでも何かあるんじゃない? 最近秘密主義だからね、美紀は。」
すかさず良子が突っ込んできた。いつもならを守ってくれる良子にしては、珍しく棘のある言い方だった。貴之のことを打ち明けてくれるのを待っていたが、一向にその気配が無い良子は、美紀への感情が微妙に変化しつつあった。

 「え、・・・何言ってるの。そんなこと無いわよ。」
そう言いながらも、美紀は良子の眼を見ることができなかった。そして、皆の冷ややかな視線と、良子の顔に浮かんだ失望の表情にも気付くことはなかった。

次章へ 目次へ 前章へ



MonkeyBanana2.Com Free Counter