美紀 PART3

PART3

 しばらく女子同士でどこかぎこちない会話を交わしていたが、美紀はトイレに行く、と言ってテントを抜け出した。実のところは、皆の探るような質問に対して嘘を突き続けることに疲れたから逃げ出した、というのが真相だった。

 「はぁ、どうしよう・・・」
テントから少し離れた所にあるランプの下の椅子に座り、美紀は溜息をついた。だますつもりは無かったが、結果的に良子を裏切ってしまっているのが辛かった。

 飯田くんとは、本当にただの友達なんだけどなぁ・・・美紀は自分にそう言い聞かせたが、我ながら無理があるとも思う。まさか良子が気付いているとは思わないが、どこかよそよそしさを感じさせる最近の態度も気になった。(じゃあ、思い切って打ち明けようか・・・だけど、何て言えばいいの? ただの友達? それならどうしてずっと黙ってたのって言われそうだし・・・)なかなか考えがまとまらない。
「はぁ・・・」
美紀は再び溜息をついた。

 「どうしたの。こんなところで溜息をついちゃって。」
出し抜けに後ろから声をかけられ、美紀は慌てて振り返った。そこに立っていたのは、医学部3年の新田だった。その優しげな瞳に、女子はみな引き込まれるような魅力を感じていた。このサークルにしては、唯一真面目な考え方を持っている点に、美紀も好感を持っていた。
「僕で良かったら、話してくれない?」
美紀は思わず頷き、隣に座った新田に、良子との関係、貴之と妙なことになってしまっていることなど、今までの経緯の説明を始めた。

 説明を聞き終わった新田は、優しい口調で、良子には打ち明けず、貴之と会うのはもうやめるべきだとアドバイスした。新田の親身なアドバイスに美紀はすっかり心を許し、二人はお互いの趣味や考えていることをしばらく話し合うことになった。話をするほどに、美紀は新田に惹かれて行く自分を感じていた。

 そうして、30分ほど経った時、ふと会話が途切れた。急に口を閉ざした新田をは訝しげに見る。
「あの。・・・新田さん?」

 新田は、そう言いかけたの肩を抱き、自分の方へと引き寄せた。
「み、美紀ちゃん、本当は、俺も君のことが・・・」
そう言いながら、一気に顔を寄せてキスしようとする。これほどの美少女と二人っきりで親しく話をしていれば、何もしないでいられる男の方が不自然だった。

 しかし、その次の瞬間、ぱん、という音がして、新田は頬を押さえた。美紀が力を込めてひっぱたいたのだ。その目には失望の色が浮かんでいる。
「新田さんはそんな人じゃ無いと思ったのに・・・ごめんなさい!」
美紀はそう言うと素早く席を立った。

 心を許した新田に迫られた美紀は、走りながらテントに帰っていった。(これだから男の人って嫌だわ。こんなサークル、最低!)美紀に悪意は無いのだが、その容姿と潔癖さと行き過ぎた無邪気さが周囲に与えている迷惑については全く気付いていなかった。

 そして、新田に迫られているシーンを、心配になって探しにきた良子と清美に見られていたことにも、もちろん気付くことは無かった。しかも、キスする直前に、見かねた二人はきびすを返してしまったので、新田と美紀がキスしたと誤解したままになった。

 美紀の無邪気な行動は、良子と清美という二人の敵を作り出すことになってしまった・・・

-------------☆☆☆-----------------------☆☆☆-------------------☆☆☆------------------------

 そして、翌週明け。美紀はちょっとした風邪を引いてしまった。深夜に新田と二人で話し込んだことが原因であった。真面目な美紀は1時間目の英語の授業にしていたが、いつもは白い頬がほんのり赤く染まり、咳もなかなか止まなかった。周りのクラスメイトが心配して声を掛けても、
「うん、大丈夫よ。ありがとう。」
と無理に笑顔を浮かべるのが美紀らしかった。

 その様子を複雑な表情で見ていた良子は、ふと何かを思いついたかのように、教室を出ていった。5分ほどして戻ってくると、美紀の隣に座った。
「ねえ、美紀ちゃん。午後一で、大学病院に行きなよ。第三世界論は私が代返しといてあげるからさ。授業の内容は先生の本の通りだから、出なくたって大丈夫だよ。」

 「え、大学病院? だけど、混んでるからいきなり行ってもすごい待たされるだろうし、それに、風邪くらいで行ったら怒られてしまうわ。」
美紀はやんわりと断った。大学病院の重苦しい雰囲気はどうも苦手だった。それに、医学部と一緒のテニスサークルに入っているので、知り合いに会うかも知れないという不安もあった。

 「大丈夫よお。ちゃんと今電話して予約しといてあげたから。」
良子は笑いながら言った。
「美紀ちゃんは大学のアイドルなんだから、公人同然よ。体は大事にしなくちゃね。」
冗談めかしてはいるが、やはりその言い方には少し棘があった。

 「う、うん。それじゃ、行って来るわ。いろいろありがとう。代返、よろしくね。」
そんな余計なことを、と思ったが、美紀はそう答えざるを得なかった。ここまでされて断ったら、良子の親切を無にすることになってしまう。それでなくても良子との関係がぎくしゃくしてしまっているのだ。せっかくの好意をありがたく受けることで、少しでも以前のような親友に戻れるなら、病院に行くくらいどうということはない。

 その美貌と頭の良さのために、苦労知らずで育ってきた美紀には、良子の笑顔の裏側の悪意など分かる筈も無かった。

-------------☆☆☆-----------------------☆☆☆-------------------☆☆☆------------------------

 K大病院は電車で30分離れたところにあるので、美紀は食堂で昼ご飯を食べるとすぐに学校を出た。良子の指示どおり、午後1時ちょうどにK大病院に到着した美紀は、15階の威容を誇る建物を前に一瞬躊躇した。もう風邪もほとんど直りかけてしまっているので、本当に来て良かったのか、再び気になったが、今さら引き返すわけにも行かない。

 しかし、受付に行った美紀を待っていたのは、意外な対応だった。待合い室の人数の多さを見て、気が引けた美紀は受付で恐る恐る尋ねた。
「あの、予約させて頂きました河村美紀と申しますが・・・」

 しかし、受付の看護婦はあっさりと言った。名札には野上、と書いてある。
「ああ、あなたが文学部の新入生の河村さんね。聞いています。どうぞよろしく。」
自分のことを知っているような口振りに美紀は不審を覚えたが、看護婦は事務的に続けた。
「それでは、こちらの部屋へどうぞ。」
そう言うと、足早に後ろの事務室へ歩き出す。美紀は何が何だか分からないままに後を追うしかなかった。

 事務室に入ると、看護婦は一枚の様式を出しながら、やはり事務的に説明を始めた。
「それでは河村さん、今日はK大病院にご協力頂き、ありがとうございます。早速ですが、こちらの書類にサインをお願いします。」
そう言って手に持っていた様式を美紀に向けてテーブルに置いた。

 (「ご協力」って、何のことかしら?)不審に思って美紀がその様式を見ると、タイトルには、『学用患者承諾書』と書いてあった。全くなじみの無い言葉に、美紀は戸惑った。文面を見ても、官僚的で難解な言い回しのため、趣旨がよく理解できない。
「あの、学用患者って、どういうことなんでしょうか?」

 「え、先ほどあなた、電話で了解してたわよね?」
看護婦を顔を上げると、咎めるような口調で言った。
「それとも、自分のことなのに他人にお願いしたの?」
大学生の癖に、そんなことも一人でできないのか、とその眼が言っていた。

 「い、いえ・・・ ただ、ちょっと確認したかったものですから。」
慌てて美紀が言った。自分は知らなかったから、などと断れる雰囲気では無くなっていた。
「もう一度、教えて頂けませんか?」

 「ですから、K大の学生さんとして大学病院にご協力頂く、ということです。」
看護婦は冷たい口調でそれだけ言うと黙ってしまった。もっと詳しく、なんて言わないで、と雰囲気全体で拒否の態度を示している。
「では、サインをお願いします。」

 美紀は腑に落ちないまま、指し示された場所にサインするしか無かった。(たぶん、私の診断データが授業にでも使われるってことよね。まあ、いいわ。それに、単なる風邪だから、大したデータにならないんじゃないかしら)そう自分に言い聞かせながら、不安を押さえる美紀だった。

-------------☆☆☆-----------------------☆☆☆-------------------☆☆☆------------------------

 美紀が通されたのは、通常の診察室では無く、7階にある特別患者室であった。(特別患者、なんて大げさね。こんな風邪だったら怒られてしまうかしら。)美紀の不安は再び増大する。

 「それでは、こちらでしばらくお待ち下さい。」
看護婦はそう言うと、美紀を部屋に残して扉を閉めた。その瞬間、唇の端に笑みが浮かんだ。(あらあら、新入生の可愛い子ちゃんも、とんだ人に見込まれちゃったわねぇ。学用患者の意味が本当に分かったら、どんな顔するのかしら、あの子?)

 看護婦は全ての事情を知っていて、美紀が来る時間にわざと受付に座っていた。そして、「予約」の電話をしてきたのが美紀本人では無いことを百も承知で学用患者承諾書にサインさせたのだ。苦労知らずの美少女がこれから味わうであろう屈辱を思うと、再び笑ってしまうのを押さえられなかった。

 一方、部屋に残された美紀は、不安そうに中を見渡した。通常の病室であれば、4人部屋として十分使えそうな広さがありながら、ベッドは手前と奥と、二つしか置いて無い。ベッドの周りには、二つずつ椅子が置いてある。部屋の真ん中には、カーテンが引いてあるため、奥にはベッドがあることしか分からない。また、ベッドと反対側の壁際には医療用具を入れる棚があり、美紀には何に使うのかさっぱり分からない器具が所狭しと並べられていた。

 歩き回って詮索するのも気がさして、美紀は手前側の椅子に座っていた。(なんか、大げさなことになっちゃったわ。ほんとに良子も心配性なんだから。早く終わらないかしら。)

 それから3分ほどすると、ようやく廊下に足音が聞こえてきた。美紀は緊張して耳を澄ます。予想と違い、複数の足音がするのが気になった。(他の部屋にも患者さんがいるのかしら?)若干の不安を感じながら、美紀はそう思った。

 しかし、美紀の淡い期待は敢えなく裏切られることになった。複数の足音は、美紀の部屋の前で一斉に止まった。(い、いや・・・どうしよう)ようやく危機を悟った美紀は身を固くした。開こうとする扉を不安そうに
見つめる。

 そして、扉は空き、医師らしき男一人に続いて、白衣は着ているものの明らかにそれとわかる学生が数人入ってきた。美紀はその中の一人と眼があって驚愕した。
「あ、赤城さん・・・!?」

次章へ 目次へ 前章へ



MonkeyBanana2.Com Free Counter