PART 2

 スナック「プラタナス」は、大通りから一本入った所にこぢんまりと営業していた。ややもすると下品な想像をかきたてそうな店名よりは遥かにましな雰囲気だったが、それでも中の下クラスの値段と品位といったところだった。外観から考えるよりも中は広く、40〜50名は収容できそうだ。中央に比較的大きなカラオケステージがあるのが、数少ない特徴であり、この店の売り物なのであろう。

 しかし、女の子のレベルはせいぜい並レベル、と言ったところだ。年齢も二十代後半から三十代前半の者がほとんどだ。その中に理絵達が入っていくと、たちまち他の男性客達の注目を集めた。

 「まあ、佐藤さん、いらっしゃ〜い! 最近来てくれないから、寂しかったわぁ。」
「今日はきれいな人沢山連れちゃって、にっくいわねぇー」
途端に女の子達の歓声が上がった。佐藤はよほど得意の客のようだ。

 「うんうん、今日はお客さんがいるんだから、丁重に頼むぞ。」
すっかりご機嫌の佐藤は、進められるままにソファにどっかりと腰掛けた。黒木達も女の子に案内されるままに同じソファに座った。店一番の大型ソファが店の女の子3人を含めた15人によって埋め尽くされた。女の子達は途端に男達に媚びを振りまきながら水割りを作り始める。

 理絵は初めてスナックというところに来たが、5分と経たないうちに嫌気がさしてきた。(何、これ? 何なの、この女達、オヤジ達は? 最っ低!)育ちが良く潔癖な理絵は心底軽蔑していた。

 「あら、この人が理絵ちゃんでしょ、佐藤さん!」
そんな理絵を見て、女の子の一人、かおりが声を上げた。
「ほ〜んと、すっごい美人ねぇ」
「何か、圧倒されちゃう感じぃ」
「やっぱり、私たちのことなんか馬鹿にしてる感じねぇ」
軽蔑心がつい表情に出てしまったのかと理絵は慌てたが、コンプレックスがあるだけに敏感な女の子達をごまかすことはすれていない理絵にはそもそも不可能だ。

 「こらこら、そんなに騒ぐんじゃない、お客様だぞ。それに、こちらの理絵ちゃんは、K大経済学部卒で、FJEのエリートなんだからな、もうすぐ係長だぞ。お前達とは身分が違うんだよ。」
理絵を庇ったつもりなのか、佐藤が余計なことを言った。そんなことを聞いた女性はさらに陰湿な反感を持つだけだということを理絵は嫌と言うほど思い知らされていたのだ。最後のくだりには、真奈美と洋子がぴくりと反応するのが見て取れた。

 「あらあら、ごめんなさいねぇ。」
そう言いながら現れたのはこの店のママだった。年は三十代後半だろうが、落ち着いた気品と美しさが女の子達と一線を画していた。
「あら、やっぱりお美しい方。佐藤さんもたまには本当のこと言うのねぇ。」
口元に手を当て、上品に笑う。どうやら理絵はこの店で相当話題にされていたようだ。

 「たまには、とはひどいなぁ、ママ。な、言ったとおりだろう。しかもK大卒のお嬢様。まだ24歳、この美しさ! 上には上がいるねぇ、な、ママ?」
佐藤がまた言わずもがなのことを言う。さすがのママも一瞬カチンと来たように理絵には見えた。千香と昌子も黙ってしまった。真奈美と洋子に至っては言うまでも無い。(どうしよう、何とかしなくちゃ!)理絵は焦ったが、上手い言葉が見つからず、おろおろするばかりだった。

 場の雰囲気を感じたのか、黒木が、
「それでは、2次会を始めましょう。よろしく!」
と言って、乾杯の音頭を取った。固まりかけた空気を何とかほぐし、円滑に接待を続行しようとする。
「それでは、せっかくですから、佐藤さんの歌声を聞かせていただきましょう。よろしくお願いしまーす」
佐藤の十八番を調査済みの黒木は、すかさずそれをセットしていた。

 黒木達の努力もあり、二次会のカラオケも順調に進行していた。ここぞとばかり、大友、三宅らの第五課組が盛り上げ役に回る。ネクタイを額に巻いたり、物まね等を巧みに混ぜたりして、皆の笑いを誘った。同じく第五課の真奈美と洋子も手慣れたもので、適当に色気を振りまきながらおじさん世代が好みそうな曲を歌う。人材派遣の千香と昌子はそこまでの芸当はできないが、最新の曲をノリ良く歌った。

 笑いながら手拍子をしていた理絵は、内心不安になり始めていた。(どうしてみんな、こんなに盛り上げるのが上手いのかしら。私の番になったら、どうしよう・・・)理絵が入れておいたのは、大人しめの女の子的な曲だった。

 大学時代や、同期同志の飲み会であれば、それでも大丈夫だった。得意というほどでも無かったが、理絵の歌はそんなに下手でもない。適当に可愛い曲を歌っておけば、いつもちやほやされている理絵はそれで十分だった。営業部の歓迎会の時もそれで通ったのだが、今日は初めての接待でのカラオケだ・・・佐藤達に愛想笑いをしながら、理絵の不安は増大していった。

 「さあ、次は天下のFJEきってのエリートお嬢様、理絵ちゃんでーす!」
軽薄な調子で女の子、アケミが告げた。
「おー、ついに来たあ」
「理絵ちゃん、色っぽく頼むよ。」
「きゃー、やっぱり美人ねぇ」
真打ちの登場に皆の期待は頂点に達している。

 ステージに上がった理絵は、緊張の面持ちのまま、マイクを手に取った。グレーのスーツに身を包んだ理絵はさらに細身が強調されていた。同時に、胸と尻の膨らみも強調されており、ロングパンツを穿いていることが逆にその体付きを露わにしていた。理絵はスカートが嫌いなので、ほとんど持っていない。

 「それでは、よろしくお願いします。」
小さくお辞儀をした理絵は、曲に合わせて歌い始めた。歌い慣れている曲を選んだので、無難に滑り出すことができた。他の客達もそれぞれの話をやめて、ステージ上の理絵に見入っていた。芸能界でも滅多にいないほどの美人なのだから、それも無理は無かった。店の女の子は、ちょっとすねた振りをしながらも、負けを認めざるを得なかった。

 一番はなかなか調子良く歌うことが出来たが、二番に入ってから異変が生じた。
「おいおい、理絵ちゃん、いい加減にしろよ。何か芸はねぇのか、それでも営業かよ!」
酔いの回った佐藤がからみ始めたのだ。
「大体今までだって、随分いい付き合いだったじゃねーか。客の誘いをいつも断りやがってよぉ」

 「それはどうも失礼しました。何しろお嬢様育ちなもので。これからは良く言い聞かせておきますから。」
慌てた黒木が取りなしに入る。
「加藤君、佐藤さんに謝りなさい。」

 「す、すみませんでした・・・」
割り切れない思いだったが、理絵は歌の合間に小さな声で謝った。(どうしてこんなオヤジに謝らなきゃいけないのよ)

 何とか歌いおわった理絵はソファに戻った。歌の前とは違い、佐藤の席の横が空けてあるので、理絵はそこに座らざるを得なかった。もう一方には係長の宮下が座っている。できるだけ距離を空けて置いたのだが、これでは仕方が無かった。(もう嫌、こんな酔っぱらいの相手!)内心の嫌悪を表さないように、必死に笑顔を作る。

 「ねえねえ、理絵ちゃんは彼氏、いるの?」
佐藤が肩に手を回しながら訊いてきた。この機会を逃すまじとばかり、嫌らしい手つきで肩を揉む。
他の男達も興味深そうな顔つきで理絵を見つめて答えを待っている。

 「え、い、いえ・・・」
理絵は曖昧に笑ってごまかそうとした。実はいるのだが、まだ職場の男達には明かしていないのだ。彼がいるとなれば急に冷たい態度を取られることがあるのは、今までの経験上分かっていた。女性同士の飲み会では隠しきれずに白状させられていたが。(ど、どうしよう、話題変えなきゃ・・・)
「さ、佐藤さんこそ、可愛いお子さんがいらっしゃるんですよね?」

 「あれぇ。加藤さん、k大卒の彼はどうなったんですかぁ」
理絵のせっかくの努力を無駄にしたのは、千香だった。先ほどからちやほやされている理絵を目の当たりにして、嫉妬心が沸き上がってきたらしい。
「M銀行に入ってトップの成績なんでしょ。今はニューヨークに留学中なんですよねぇ。」

 「ほう・・・」
意外な展開に、佐藤はそれしか言えなかった。同期に遅れを取りながら何とか課長になった佐藤に取って、M銀行の、しかも超エリートなど、雲の上以上の存在かもしれない。
「それはすごい・・・」
それっきり黙りこんでしまった。

 「そうなのか、加藤君。」
黒木も意外、と言った表情だ。今まで一年間そんな話を聞いたことが無かったので、ひょっとしていないのかも、と同僚の男達はほのかな期待を抱いていたのだ。他の男達、松本、大友、三宅も一様に複雑な表情を浮かべた。理絵の嫌な予感が的中してしまった。(だから、言いたくなかったのに・・・)

 「さあさあ、楽しくやりましょうよぉ」
店の女の子が何とか盛り上げようと明るい声を出した。
「ね、次の歌、行こ」
しかし、反応は鈍かった。

 「じゃあ、場を盛り下げた責任を取って頂きましょうかぁ?」
もう一人の女の子、エミが意地悪な笑みを浮かべながら言った。客に向かって理絵ちゃん、とは普通は許されない言葉遣いだが、誰も注意する者はいなかった。
「理絵ちゃんが責任を取って、何でもしてくれるそうですよー。何してもらいましょうかぁ」
言っても無いセリフをでっち上げて、男達の顔を見回した。最後に佐藤に向かって視線を投げる。

 「そっかぁ、何でもしてくれるのかぁ。」
佐藤は突然嬉しそうな顔になった。佐藤が次ぎに何を言うか、分からない者はいなかった。
「なら、ストリップで許してやろう。」

 途端に、淫靡な期待に満ちた視線が理絵に集中した。その胸の膨らみに、女らしい曲線を描く腰に、嫌らしい視線が無遠慮に向けられる。

 「い、嫌です! 何を言ってるんですか。」
理絵は真っ赤な顔で拒否した。スケベ親父の相手をさせられた上に、なぜ裸にならなければいけないのだ。理絵は、当然自分を庇ってくれるだろう、黒木を中心とした同僚達を見た。(早く、何とか言ってよ!)

 しかし、その反応は理絵の予想外だった。男達は佐藤を諫めるつもりも無いかのように、口をつぐんでいる。そして、その視線は佐藤同様、嫌らしい期待に満ちているように見える。(し、信じられない! 部下の女性にみんなの前で恥を掻かせるつもり? たかが一件の契約のために?)
「ちょっとくらいサービスしてもいいんじゃないか、加藤君。」
係長の大友がへつらうような笑いを佐藤に向けながら言った。

 信じられない思いを抱きながら、理絵は救いを女性陣に求めた。しかし、千香や昌子、洋子、真奈美も、女として理絵の味方になるつもりは無いようだった。
「私も一回、良く見てみたいと思ったのよねぇ。理絵ちゃんたら、本当に若くて可愛いもんねー」
最年長、29歳の真奈美が笑いながら言った。

「うん、私も見たぁい。加藤さんの裸。」
「いっそのこと、縛っちゃおうかぁ」
それがどれほど恥ずかしいことか、同年代ならよく分かっている筈なのに、千香と昌子ははしゃいでいた。とても手の届かない存在だと諦めていた理絵が、今、目の前で恥を掻かされようとしているのだ。変な話だが、逆転のチャンスが巡ってきたような気がしていた。


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