PART 1

 麻倉知佳は最大手の商社、M商事の二年目の社員で23歳だ。K大卒で一年目から優秀な業績を上げ、社内から注目されていた。

 しかし、知佳が社内の注目を集めていたのは、その優れた能力だけではなかった。むしろ、その美貌とスタイルの良さが、男性社員達の歓心を一身に集めていた。若手の清純派女優にそっくりと言われる整った顔に大きな瞳が印象的で、普段は澄ましているように見えても、時々見せる無邪気な笑顔には相手の心を捉えて離さない魅力があった。また、スタイルもほどよく、スリーサイズは82、59、84だった。いつもパンツスタイルでスカートを穿かないことだけが、男子社員の不満だった。そして、その美貌と才能にも関わらず、控え目な性格の知佳は、女子社員からも人気があった。

 

 知佳は、父の仕事の関係で中学生までをイギリスとフランスで過ごした帰国子女であり、英語、フランス語に堪能だった。高校では最初、日本の受験教育に苦労したが、慣れるとめきめき頭角を現し、名門私立のK大経済学部に合格した。
  大学でゴルフ部に所属すると、すぐに部の女子の中でトップになった。フランス在住時代に、父の休日にに連れられてさんざんゴルフをしていたためだった。その美貌と、ゴルフの腕前が噂になり、知佳はたちまち学園の超有名人になった。男子の注目の的となり、多くの誘いを断らなければならなかった。

 3年生になると、知佳は最も人気があり、最も入るのが難しいマクロ経済学の杉村ゼミに入った。各学年10名、合計20名のゼミ生の中でも、知佳は頭の良さと熱意ですぐに中心的な存在となった。そして3年生の冬に、4年生でゼミ長の土居武史に告白され、知佳は始めての異性との交際をすることになった。

 いつも落ち着きがあって知的で成績優秀で、ゼミ生を引っ張るリーダーシップもありながら、飾らない性格の武史に、知佳はひそかに憧れていた。知佳の二つの願いーーーしばらくは、付き合っていることを秘密にしておくこと、深い付き合いにはなかなか応えられないことーーーを快く聞き入れてくれた武史に知佳は感謝していた。

 しかし、その交際は順調とは言えなかった。大学を卒業して旧財閥系のS銀行に入った武史は、春休みから新入社員の合宿に参加させられ、山奥の研修所に一ヶ月も缶詰めにされてしまった。その後も、現場の支店に配属されると、厳しいノルマや連日の接待に駆り出され、さすがの武史も知佳と会う時にも疲れた表情を見せていた。休日中にも資格試験のための勉強をしなければならないと知り、知佳は我慢して二週間に一度しか合わないようにした。

 さらに、知佳がミスコンに参加したことが二人の関係を疎遠にしてしまった。もちろん、知佳が自ら応募したのではなく、クラスメイト達が勝手に推薦してしまったのだ。気付いた時には外堀を埋められ、クラスメイトの好意を無にしないために、仕方なく参加することにしたのだ。

 できるだけ早く落選してしまおうと思い、自己アピールをほとんどしなかった知佳だったが、その美貌と素っ気のなさが却って新鮮な印象を与え、断トツの人気を得ることになってしまった。

 そして、武史はそのことに嫉妬し、性急な行動に出てしまった。久しぶりのデートのある日、知佳を送る車の中で、軽いキスだけで我慢できなくなった武史は、白いブラウスを膨らませる優美な曲線につい手を置いてしまい、その乳房のあまりの暖かさと柔らかさに自分を抑えられなくなり、手を動かして揉み込んでしまったのだ。
 いや、やめてっ、土居さんがそんな人とは思わなかった!と言いながら知佳は車を飛び出し、そのまま帰ってしまった。女子高生でもしないような反応に、知佳は後から反省したが、自分から連絡を取る気になれず、武史からの連絡が来たら仲直りしようと思っていた。しかし、激務の武史はつい連絡を怠り、お互いに連絡を取らないまま一ヶ月が過ぎてしまった。

 そして、知佳が圧倒的な得票でミスK大になると、マスコミ等が一日中付け回すようになり、とてもボーイフレンドに会える状況ではなくなってしまった。ようやく喧騒が落ち着き、知佳から連絡を取ったとき、武史は新しい彼女ができたと言って振ったのだった。こうして、初めての交際が思いを残したまま終わってしまった知佳は、ミスコンになって更に増えた男からの誘いを、全てあっさりと断っていた。

 大学を卒業すると、知佳は超一流企業のM商事に入社した。当然テレビ局や航空会社、あるいは芸能界に入ると思っていた周囲の友人達は困惑した。能力も無いくせに顔で採用されたとか、エリートの男狙いで計算高い女とか言われながらも、気丈な知佳は動じなかった。経済学部で学んだ知識と能力を最も活かせるのが商社だと思ったのだ、

 内定してから入社までの間は、社員達も同期達も知佳の美貌に、外見で採用されたと思う者が多かった。しかし、新入社員研修でトップレベルの成績を上げ、グループワークでもリーダーシップを発揮した知佳は、そのような評判をあっさり覆した。
 M商事には独特な制度があり、成績優秀な新人は、配属先の事業部を自由に選ぶことができた。すると知佳は、M商事の主要事業であり人気の高い資源・エネルギー関係を扱う第一事業部や、自動車・航空機等を扱う第二事業部などの人気部門ではなく、生活関連品を扱う第七事業部の中のアパレル部門の更に商品企画部を希望した。
 M商事の中での販売構成比が僅かであり位置付けが低く、業界での順位も低いアパレル部門を希望した優秀な新入社員に、慌てて人事部は説得を試みたが、知佳は頑として聞き入れなかった。

 自ら希望しただけあって、知佳のアイデアで企画した新商品はいきなり品切れになるヒットを得た。材料が不足すると、知佳は得意のフランス語を活かして自らフランスのバイヤーと交渉し、飛行機での緊急輸入を実施した。しかし、今度は、販路が少ない第七事業部の弱点が露見した。すると知佳は、業界5位のS物産と提携し販売網を提供してもらうことを提案した。熾烈な争いを繰り広げていたライバル社へ塩を送ることになりかねない提案に、営業部からは猛反発があったが、サプライチェーンを構築する時間を短縮できるメリットとその採算性を知佳は自ら幹部にプレゼンして了解を得た。さらに、S物産との角逐を知らない自分が交渉役になることが最も円滑に進むと主張した。またもやプライドを傷付ける提案に営業部は反発したが、商品企画部長のバックアップもあり、渋々容認された。

 女子社員、しかも新入社員を交渉役にしての提案に、S物産は当初激怒し、門前払いを繰り返した。知佳は冷たい仕打ちに耐えながら辛抱強く通い、その熱意で徐々に信頼を獲得し、遂には販売網の提供を了承させた。
 また、足元を見て高いマージンを要求するS物産に屈しず、知佳はあくまで理詰めで公正な条件を引き出し、その新商品はM商事アパレル部門の歴代最高の利益を得ることになった。
 そして、その活躍はビジネス雑誌に取り上げられ、その美貌とミスK大という経歴ともあいまって一時的に有名人になってしまった。

 仕事上は順調そのものの1年目だったが、知佳にも一つ苦手なことがあった。それは、飲み会の席だった。体質の古い業界であったため、女子社員ばかりがお酌をさせられることに知佳は抵抗を感じていて、あまり積極的には参加しなかった。また、S物産との提携成立の打ち上げの飲み会の際には、2次会のカラオケでS物産の営業部長の藤堂に肩に回され、その手を思わず振り払ってしまい、先方を激怒させてしまったこともあった。その時は、課長の鈴原がその場で平身低頭せんばかりに謝罪し、その後に営業部長の高城が何度か藤堂を訪問することで何とかことを収めていた。

 また、普段は気取らない性格の知佳だったが、議論では一歩も引かない勝気さを持ち、先輩社員や課長の袴田のメンツを潰してしまったことが何度もあった。特に、資金協力を得るためにS銀行でプレゼンをした時には、女の子扱いして馬鹿にした課長を、完膚無きまでまでに論破してしまったこともあった。相手の立場をもう少し配慮するように営業部長からも何度か指摘されたが、長年の海外生活で染み付いてしまったスタイルをなかなか直すことができなかった。

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 10月のある日。週に一度の部内ミーティングで、部長の前川が言った。
「えー、今日は一つ嬉しい知らせがあります。・・・袴田くんの課から麻倉くんがメンバーとして参加したプロジェクトが、社長賞を獲得しました。おめでとう!」

 おおっと、どよめきが広がる。社長賞は、年に1回程度しか出されない、社の利益に極めて多大な貢献をした者に与えられる賞で、経営会議での審査を経て決定されるものだ。
「ありがとうございます。部長をはじめ、皆様のおかげです。」
初めて自分の課から社長賞が出た袴田の顔は高揚していた。


 しかしそれは、知佳にとってすぐに悩みの種になった。社長賞はプロジェクトに対して出たものであり、そのメンバーは、知佳以外は営業部の社員達だった。そして、社長賞の副賞は、金一封に加え、伊豆の温泉旅館への一泊旅行だった。そこで繰り広げられる宴会の噂を、知佳は何度も聞いていた。営業部の宴会は体育会のノリであり、コンパニオンを呼んで、いやらしいサービスをさせて盛り上がるらしい・・・会社もそれを黙認している・・・

 「あの・・・私、副賞の旅行に行かなくては駄目、でしょうか・・・」
知佳は恐る恐る袴田に聞いた。

 「え? 当たり前だろう、この商品は君の企画なんだから。そりゃ、頑張ってS物産の流通網に乗せたのは営業部の功績だけどさ。」
袴田は呆れたように言った。
「商品企画部からは君一人なんだぞ。君が社長賞の副賞を断るってのは、部長の顔に泥を塗ることになることくらい、分かるだろう?」

 「ちょっと課長、知佳ちゃんの気持ちも考えてあげてくださいよ。」
困惑している知佳の後ろから、先輩の浜本香織が助け舟を出した。
「私だったら、営業部の宴会なんて、絶対嫌だわ。」

 結局、旅行への参加は命令されることになったが、香織の口添えもあり、いくつかの条件に営業部も同意することになった。その条件とは以下の通りだった。
・宴会で浴衣は着なくていいこと
・宴会にコンパニオンは呼ばないこと
・部屋は女性だけ別館とすること
・知佳以外にも、営業部の女子社員を複数参加させること
・女子社員に男性社員へのお酌などの奉仕をさせないこと

 課長にまで他部との折衝に動いてもらい、これだけの譲歩を示されては、もはや断れなかった。せっかくの週末が潰れてしまうことは残念だったが、これも会社員の勤めと諦める知佳だった。

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 そして社員旅行の日となった。土曜日の朝、会社の車寄せの集合場所に来た知佳は、そのバスの大きさに驚いた。
「あ、おはようございます、鈴原課長。今日はどうぞよろしくお願いいたします。」
知佳は笑顔を浮かべながら頭を下げた。
「あの、今日は13人と伺っておりますが・・・このバスで行くのですか?」
そのバスは、あと10人は乗れそうな大きさだった。

 「・・・うん、ああ、ちょっと大きいね、このバス。」
鈴原は曖昧な口調で答えた。
「これしかなかったのかな。・・・とにかく、早く乗ろうよ。」
そしてバスは定刻どおりに発車した。メンバーは、知佳と営業部のプロジェクトメンバー10名、営業部の新入社員の女子2人だった。

 しかしすぐに、知佳は妙なことに気付いた。大通りに着くと、バスは高速道路のインターとは逆の方向に曲がったのだ。
「え、どうして・・・」
知佳は周囲の社員に聞いたが、皆も首をひねるばかりだった。


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